全く、色んな実験をする連中がいるものだ。
感心するよ。
(CNN) 自分が見たものを写真に撮ると、その被写体についての記憶は薄れる傾向にある――。そんな研究結果が心理科学誌に掲載された。「カメラを取り出すと、自分が見ているものに注意を払わなくなり、実際にそこにいることよりも写真を撮ることの方が大切になる」と研究者は指摘している。
だってさ。
僕は絶対に写真を撮らないと記憶に残らない質なんだよね。
賛同できないね
そもそも、このCNNの記事をネットで読んだのは、子供がGW中の旅行の時にそんな事を言い出したからだ。
そのソースは教科書だったか学校のプリントだったかという。
そうそう、僕の世代の小学生か中学生時代にも作家は誰か忘れたけど、そんな事が書いてある随筆を学校で読んだことがあるんだよね。
多分、その作家は、この記事にあるような実験なんかしなかったんだろうけど、僕は、その時も、今も、写真を撮らないことに賛同出来ない。
すーっかり忘れている
そのGW中の旅行は軽井沢だったんだけど、確か10年くらい前にも行ったことがあるんだよね。
でも、すーっかり忘れているのだ。
そもそも、行った時を確か10年くらい前ということ自体ダメだ。
妻にあそこのパンがどうのこうのいわれたが、ちーっとも覚えていない。
で、その時は今みたいに、常にケータイのカメラや一眼で撮った写真を楽しむ、そのこと自体に関心が無かったんだよね。
つまり写真は一枚も撮っていないのだ。
なのに記憶に全く無いのはどうして?
写真を楽しむのがダメなの?禁欲好き?
このCNNでニュースになった実験とか、あの学校の教科書で出てきた話といい、どうにも意味不明なんだよね。
双方とも、「被写体に対する関心より写真撮影に気持ちが向かう、だから忘れる」っていっているんだけど、「そんなハズねーよ」というのが僕の肌感覚だ。
何、写真を撮ることに罪悪感を持って欲しいっての?
文明の利器に頼るなって?
っていうか、ファインダー越しに被写体を見ると、僕は確かに撮影のオペレーションに関心が向かうよ。
絞りは、シャッタースピードは、感度は、フォーカスは、画角(焦点距離)は、ってさ。
でもそれはひとえに、その被写体を永遠に僕のものにするために、こういう撮影のオペレーションをするんだよね。
それで自分的にベストな写りをしたら、その写真に載っている被写体を愛でる(何かイヤらしいw)、要は、楽しむことができるわけ。
デジタル写真時代、写真の役割は変わったんだよ
今は写真は完全にデジタルの時代だ。
写真にはGPSでジオタグがついて、撮った写真で何時ドコに行ったか後で思い返すことができる。
検索技術が発達したので、バカみたいに時間をかけて写真を整理する必要も無いわけだ。
そんな写真をEvernoteやFacebookみたいなSNSにでもアップしたら、ほぼ一生、いや、子供にでも引き継いでいけば半永久的に残るライフログにもなるしね。
そんな一石二鳥な写真というツールを使わない手はないって。
・・・てなことを、また会社帰りで立ち寄った、行きつけのバーで考えていました!
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