最近、それほど親しいという程では無かったが、二言三言話すような間柄の方が亡くなった。
僕よりはずっと年上だが、人生まだこれからの年齢だ。
正直言って、仕事が手に付かない。
その、死の瞬間、その方は何を想いながら亡くなっていったのだろうか。
僕は誰かが亡くなった時、その事を真っ先に思う。
死は人生の総決算
僕は、「死は人生の総決算」と考えている。
楽しいこと、辛いこと、やり遂げたこと、出来なかったこと、大切な人は今後どうなるか、そのために何をしてすべきだったのか、等々。
その決算の「感情科目」は沢山あってまだ整理できていないが、とにかく毎日、その総決算に向かって日々生きている。
他人の人生を生きない
その人生の総決算に向けて、満足した成績を挙げるにはどうしたら良いものだろうか。
余りにも定性的だけど、僕の基準はこうだ。
Your time is limited, so don’t waste it living someone else’s life.
敬愛するスティーブ・ジョブズさんによる2005年スタンフォード大学卒業式のスピーチ中の、余りにも有名なフレーズだ。
2006年に、友人からこの言葉を教えてもらって以来、僕は他人に迎合することを止めた。
正確に言えば、仕事を進めたり、人間関係を円滑にする上では、「迎合」も一つのテクニックで重要なものだけど、ハラの中では、絶対に「他人の人生」を生きない。
だから、僕は説得らしきものを受けることはない。
それに近いシチュエーションに立たされそうになると、察知して先回りするからだ。
意図的にダメ人間と化す時もあったりする。
なるべく自分の求めるべき方向性にそれとなく、わからないように誘導するのだ。
我ながらイヤらしいとも思うが、それも一つの生きる術だと思う。
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