一人めちゃ遅い朝食を食べていたら、
子供が貰ってきた賞状がテーブルに。
出品って書いてあるから、出しただけかと思ったら何かを書いたところ選ばれて出品されたらしい。
少々文才があるようで、かつて通っていた塾でも国語で表彰されて、今も国語だけやたらと抜きん出て偏差値が高い。
漢検も何級か忘れたけど、2、3回合格している。
俺が小学生の頃は、なーんにも選ばれることもなく、 貧しい中、給食を食べることだけが生き甲斐だったものだけどれど。
おまけに、勉強が死ぬほど嫌いで学校もガンガン、サボっていた。
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例えば、宿題を忘れたことをきっかけに、
物置に隠れて、兄弟や母親が居なくなった頃を見計らって家に入る。
ついでに兄たちが隠していたエロ本も眺めたりして。
で、昼下がりに近所のガキと何食わぬ顔をして遊んでいた。
その期間は2週間ぐらいだったと思う。
結局、近所のオバさんに通報されて学校に戻ったけど。
・・・家に連絡も何のしない教師も今となってはどうかと思う。
ま、教師なんて所詮そんなもので。
そんな俺の子供が、毎日のように勉強するんだから、恐れ入るよ。
ところで、沢木耕太郎さんが30年前の故・藤圭子さんのインタビューを地の文無し(!)で記録した、
「流星ひとつ」
を読んでいる。
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1ページ開く度に、当時28歳だった藤圭子さんの言葉ひとつひとつに心が震える。
唄は言うまでもなく、何て、虚無的な、なのに何て人間らしさが溢れる人だったんだろう。
地の文が無いことで、逆に、今はもう無いニューオータニの薄暗いバーで沢木耕太郎さんが藤圭子さんに語りかけているのが、リアルに目に浮かぶ。
早く読むのがもったいなくて、ついつい「ながら読み」をしてしまう。
色々あったようだが、この溢れんばかりの感性を持つ偉大な母に接することで、あの娘さんが育ったのか・・・と今更ながら思う。
ということで、さあさあ、
俺も一層子供の手本になるような父、ビッグダディーにならないとな。
子供を宇多田並にビッグにしてやるさ。
41歳、思い通りの人生にするために、まだ俺はまだまだ諦めない。
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