生き方

遠慮は貧乏のはじまり(「謙虚」とは#1)

今日の1枚「10代の頃に想像つかなかったこと」

先般食べたランチ。 この後にメインの鶏肉が。 10代の頃はこうやって人並みに食べられることが想像つかなかったものだ。

先般食べたランチ。
この後にメインの鶏肉が。
10代の頃はこうやって人並みに食べられることが想像つかなかったものだ。

眩しかった、ズケズケとモノを言う人

僕の子供が時折「何か」もしくは「誰か」に遠慮することがある。
大抵はちょっとばかり憧れが入った場所なりに行くと、そんな遠慮する行動に出ることがある。

そんな時僕は、
「場をわきまえることは確かに大切。
だけど遠慮ばかりしていると、それにつけ込んで搾取しようとする連中もいる。
『遠慮は貧乏のはじまり』とも言うしね」。
なんていうことがある。

そう言う僕は、今ではかなり図々しいというか、いわゆる寝技使いだったりするんだけど、

ホント、いつから汚れてしまったんだか・・・。

10代の頃は、誰かにモノを言われると言い返せなくてダンマリを決め込む「優しい」人間だった。

誰かに(悪い意味で)モノを言われると、「さて、どうやってこいつを窮地に追い込んでやろうか」と即座に考えるような今の僕・・・。
ああ、いやだね、僕ってw
でも、僕は基本的に「義理」と「人情」を誰よりも大事にする人間。
それから外れた行動をする連中に対してこう考えるんだよね。

一方で、ズケズケとモノを言う人の姿は僕にとって実に眩しかったものだ。
どうしてあんなにハッキリとモノを言えるんだろうかってさ。

遠慮は貧乏のはじまり

突然だけど、「清貧」という言葉があるよね。
この言葉、いつも僕は胡散臭いなと思う。

デジタル大辞泉によれば、「清貧」とは、

私欲をすてて行いが正しいために、貧しく生活が質素であること。(デジタル大辞泉)

だという。

行いが正しいために、なぜ、貧しく生活が質素にしなければならないのか?
清いことは貧しいことなのか?
どうもよくわからないのだ。
そもそも、私欲を捨てることはいい事なのだろうか?
これも、どうもよくわからないのだ。

「貧しく生活が質素」って言うと、その行動として発現するのが「遠慮」という言葉だ。
遠慮をする姿というのは、清貧という考えと相俟って一見美しく見える。
しかし、それは、面倒な状況から逃げるがために、遠慮という姿を見せることで自分を他人に対して無力であることを見せているに過ぎない。

他人というのは、基本的に無情であって、そうやって遠慮する人を視界から外していくものだ。
なぜなら遠慮する人は、放っておいても何にも言ってこないからだ。

結局、遠慮する人は割を食い、主張するウザい人は得をする仕組みとなるわけだ。

確かに、始終遠慮せずに主張ばかりしろと言うわけじゃないけど、そういう状況が起こりすることを考えながら遠慮せよということだ。
僕が冒頭子供に言っているのは、そういう意味で言っているわけなのだ。

(続く)

能戸 淳

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北海道出身、金融界周辺に漂い十数年、
ですがその匂いが全く感じられないといわれます。
金融絡みの内容は書きません。中身はアラフォー関連のライフスタイル中心です。
なるべく楽しいエントリで埋め尽くしたいのですが、人間ですので辛口になることが多々あります。ご容赦をw

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